他人の記憶への責任

涼しくなってきて過ごしやすくなりました。すばらしい。

 

 

去年、僕はある友人から筋が通らない対応を受けました。

簡単にいうと、たくさんの迷惑、失礼な行為を僕に浴びせたのにそれに対する謝罪や反省の雰囲気がまったくないのです。

 

いま僕にとってその人は不愉快な存在になってしまいました。

その人とはそれ以前はよく遊んでいて思い出の記憶の端々に現れます。しかしそれすら不愉快にさせられるのです。楽しかったはずの温泉旅行もその人が居たということで写真アルバムを見返す気にもなれません。

 

これはもちろん僕の性格や感じ方の問題が一番大きいと思います。

 

 

 

もし僕も誰かの“不愉快な気持ちのスイッチ”になってしまっていたらなんて申し訳ないんだろう…と思いました。

 

 

人と付き合いをするということには、相手の記憶への責任が発生するのではないでしょうか。後々思い出したときに相手が嫌な気持ちにならないように振る舞う責任です。

もちろん完ぺきに周りの人全員を気にするということは難しいでしょう。だけど少なくとも共に活動する、手の届く範囲の人々に対しては、関わったからには、今後ずっと誠実でいなければならないように思うのです。

 

僕は大学生活を通してたくさんの友人と記憶を共有しました。この記憶が気分の悪いものにしないよう、僕は筋の通らないような不誠実なことはしてはならないという大きな責任と共にいきていこうと思うのです。