忙殺なんてされてない
時々ハンバーガー食べるとめちゃくちゃ美味しいですね。
現在僕はデザイン系専門学校の夜間部に通っています。だいたい18-21時で週5日です。
毎週毎回、3つの授業で課題が課されます。授業内で説明を受けて実習し、その続き、仕上げをしてこいというパターンが多いです。期限はだいたい1週間後か2週間後。
この状況のなかにいるとなんとなく「お、自分いま忙しいな」みたいな気持ちになります。
実際今年のGWはほぼ毎日一日6,7時間は机に向かっていました。
特にアイディア出しとできれば材料調達をしてこいという課題(オリジナルポップアップ、しかけ絵を作る課題のため)については良いアイディアが思い浮かばず毎日何時間もひたすら紙をいじくり回して悶々と悩んでいました。やってみたいアイディアがあっても実現性があるかは試作していじくり回してみないとわからない。いくつも試作してみるが目処が立たない。これがなかなかキツかった。(結局そのアイディアはやめました)
しかしその他の課題については作業時間は長かったですが忙しいとは感じませんでした。強いていうなら疲れたとは感じました。
……忙しさってなんだろう…?
例えば大学時代、特に一年生の頃は毎週レポートの期限がやってくる時期がありました。これは忙しかった。まず問題の意味がわからないから、わかる人に聞かなきゃならない。その前にわかる人を見つけなきゃならない。学校は1限から4限5限まで毎日ある。
肉体的に忙しかったのもありますけども僕にしてみると「わかる人に聞くまで目処が立たない」ということがすごくストレスでした。目処の立っていないレポートを抱えているという事実が、ゲームの毒状態のようにずっと僕を苦しめるんですね。(自力でわからないのがよくないんですけど、、)
僕にとって忙しさとは精神的に休めないことなんだと思います。
なので僕の場合、まずアイディアの候補を複数思いつき、それぞれ何をいつまでにすればよいのかという目処をうまく立てることができるようになれば、気持ちの整理がつき、自分で自分のことを忙しい〜〜みたいに思うこともなくなると思います。
なぜこう言うかというと、
なんだか人は、まず「自分忙しい」という設定にして、それを乗り越えたという達成感をセルフで作って、自分のことを鼓舞しがちな気がします。
全然いいです。僕はよくやります。
けどついつい「自分忙しい」設定であることを忘れて、たいして忙しくもないのに本当に心を消費していき、あとでセルフサービスの達成感で補う。。
自分のことになると意外とこれに気づけません。あとで思い返して、いうほど忙しくもなかったな…となるのです。
僕はそんな勝手に心を消費してぐったりする間に面白いなにかを見逃すことになるのは嫌だなと思います。
僕はいま、そういうような気持ちの切り替えと、苦しみ過ぎずに一定のクオリティの発想を生み出す訓練の最中なんだろうと思います。
なので当面は目の前の課題に対して一生懸命に、必死こきすぎずに取り組むことにしたいと思います。(どこまでが一生懸命でどこまでが必死なのか、、そのボーダーを見つけることも大事かもしれません)
あーーー早く紙買いに行かないとな……