わかりやすさ

デザインにおけるわかりやすさとはなにか、どの程度のものなのか考えている。

 

わかりやすいもの、露骨な表現が『良い』とはまったく思わないし、わかりにくいものはわかられない限りは意味不明なだけだ(特に状況に則していないデザインである場合)。

 

何かをデザインするときにわかりやすさを求めるのは当たり前だと思うが、狙うべきは

「ほぼ誰にでも伝わること」ではなく

「魅力的で、かつ説明がついてくるもの」だと思う。

 

この「魅力的」というのが難しく、一瞬で理解はできないけど不思議と魅力的(ただし理解できなければ意味不明のものとして意識にのぼらない)なものもあれば、即座に理解することができる露骨なわかりやすい表現そのものが魅力的に感じるものがある。

 

 

したがって先ほどの

「魅力的で、かつ説明がついてくるもの」とは

 

「一瞬の理解はできぬが魅力的で、かつ説明がついてくるもの」

または

「即座に理解することができて魅力的、もはや説明不要」

というどちらかの意味になる。

 

 

少なくとも最終的に、受容者は意図を理解できなければならない。

「意図の理解」とは制作者が生み出したがっている感情・感覚を認識・体感するということ。

 

 

制作するときに目指すべきは当然「魅力的なもの」だが大事なのは前者の

「一瞬の理解はできぬが魅力的で、かつ説明がついてくるもの」

のほうだ。

これを満たして制作するためには色やかたちが持つ意味や与える印象を知った上でコントロールしなければならない。

 

 

結果としてわかりやすい表現が合っていて魅力的になることは多くあるだろうが、

ただ単純なわかりやすさを狙ってはいけない。

自分が魅力的に思うものをたくさん感じて、なにが心地よいのかをじっくりと考え続けたい。

 

なによりもデザイン技術はたぶんほぼ全ては育てていける技術だから、修行に努めるほかない。